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2008/03/12

「サイゴン・タンゴ・カフェ」 中山可穂 

「過剰な愛はいつだってたやすく過剰な憎悪にすりかわるものだから」

一般受けはしないけれど一部の熱狂的ファンを持つ作家が、これまでとは違う形の小説を書いて、それが世間的な評価を受け、一方で熱狂的なファンから激しく抗議されたときのことについて語った言葉。

一方通行の愛の場合は特にそうだ。これは恋愛に限らない。血縁関係にあるもの、友人知人・・・。

過剰はよくない。自分が過剰にそれを抱くことを常に警戒しているせいか、私は少し足りないくらいの女になりたいと思うことがある。いろんなものが足りない、そういうひと。

さて。

待望の新作は、タンゴのリズムのなか紡がれた五編からなる小説集。

表題ともなっている五編目の作品が、とてもよかった。心が熱くなった。

そして五編目の作品を読んで、それまでの四編が違った色彩を帯びてくるという仕掛け(これは私が勝手にそう受け取ったのかもしれない)に、しみじみと感じ入った。

昨日は軽井沢も日中は十度を越え、へんてこな春陽気でした。冬から春への移行期、私が一年のうちでもっとも嫌いな季節です。

3月 12, 2008 |

2008/03/10

「いつか眠りにつく前に」

「母親は、何をしていても、子どもを傷つけてしまうもの」

昨日、新宿武蔵野館で観賞。

朝一番の回だったけれど、そして狭い劇場だったけれど、ほぼ八割が埋まっていた。

脚本を、「めぐりあう時間たち」のマイケル・カニンガムが担当していると知って期待して観に行った。

たしかに、好きな台詞が多かったけれど、全体としては私にはそれほどのインパクトがなかった。冒頭の台詞は、それを聞いた瞬間、忘れないように頭に刻みこんだが、正しいかどうかはわからない。

専業主婦でずっと家にいようとも、仕事ばりばりで家を空けていようとも、どの程度どのような関わり方を子どもに対してしようとも、母親というものは子どもを傷つけずにはいられない。

そのような意味の台詞が前後にあった。

ほんとうに、その通りなのだと思う一方で、これは誰にでも当てはまるものではないのかもしれない、とも思う。

何をしていようとも子どもを傷つける要素をたくさん持った母親と、そうでもない母親というのが、いるような気がしてならない。

(それでも毎度のことながら、このような台詞に出逢うとほっとしてしまう。逃げ場所を与えられたようで)

そして、こういうときに、「ぞうさん」の童謡と同じく、いつも「母親」なのだ。父ではなくて。嬉しいような損をしているような。

今、作品のタイトルを確認するために、ネットで調べたら、

「あなたが最期に呼ぶのは誰の名前ですか?」

という問いかけがあり、映画を思い出して、映画の主人公の場合は、アノヒトだったな。私は誰だろう、と今、あらためて考えてしまった。

朝はぼたぼたの雪が狂ったように降り、今は雨まじりの雪に変わって、季節の変化を強く意識させるお昼前に、そんなことを考えているのです。

しつこかった風邪もようやく治り、エナジーが少しずつ、身体にじわじわと広がってきています。

3月 10, 2008 |