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2008/02/18

「雪の道」 辻邦生

「だからその文化とか歴史とかいうことが、私には何となく空疎な考えのように思えてきたの。

それより一日一日の、あなたの言い方に従えば<消費され消えてしまう時間>の中に幸福があるのではないかしら、と、そう思えるわけ。

文化とか歴史とかの名目で、人間はこうした歴史にならない部分の意味を、故意に貶めていたのじゃないかしら」

ぜんぜん、冴えない。

と悲観してすねるのを防ぐために、煮詰まったときは、ノートを開く。

好きな言葉たちが、乱雑に書き連ねてある。今回、「ん?」と思ったのはこれ。

読んだ記憶がないから、引用からの引用かもしれない。それすらわからなくなっている。

でも、どうして以前に、これを書き写したのだろう。なんとなく反発して・・・・・・のような気がする。たぶんそうなのだろうな。

けれど、今は、これが、感覚的に理解できる。意見として賛成します、ということではなく、理解できるのだ。<消費され消えてしまう時間>って、ああいう瞬間を言うのだろうな、という場面場面が、頭に浮かぶ。映像はもちろん、温度もともなって。

このところ、すごく忙しいように、感じる。色々なことが重なって私の上に乗ってくるようなかんじ。「敏感」だから、と思いたいけれど、事実は、心身ともに「脆弱」なので、すぐに不調になる。不調になると、周囲に優しい気持を抱くのが難しくなる。そして<消費され消えてしまう時間>のなかに幸福を見出すなど、「不可能です!」と叫びたくなる。

それでも、季節が変わろうとしている瞬間を、ときどき感じて、空を見上げたりして、空の色、雲の色なんかをじっとみたりして、ただそれだけで生を感じるときだってあるのです。

2月 18, 2008 |

2008/02/15

「ラスト、コーション」

「今まで誰の言葉も信じてこなかったが、おまえの言葉だけは信じよう」

切実な瞳で、孤独な男にこんな台詞を言われたら。

とひとり想像して、胸を熱くしている。

平日の朝9時15分の会だったのに、八割の客席が埋まっていた。日比谷シャンテで、私は久々に映画にのめりこんだ。

濃厚な性のシーンが話題、というのもすごく楽しみだったけれど、なんたって、主演がトニー・レオン。早く観たくてうずうずしていたのだった。

そして、断言する。全部観た訳ではないから、とてもいいかげんだけれど、トニー・レオンが出演した映画のなかで、これ、だんぜん、1番です。

目だけで、女を、別世界にいざなうことができる男。

それを再再再確認。

そして、深く激しい情念の、世界。男と女の不滅の絆の世界。

ラスト、美しいヒロインが、ぎりぎりのところで選択した、「それ」に、私は激しく共鳴する。

こうでなくては。

生きていてつまんなすぎる。というか、むしろ、そうでないやりかたは、生きている、と言ってはいけないのではないか。

とまで思わせる、ほんとうに、すばらしい映画。

観たのは昨日なのに、まだぜんぜん、その世界から抜け出られないのでした。

2月 15, 2008 |

2008/02/07

「娼婦と鯨」

「価格と価値は違うのよ」

娼婦の女性が少年に「大事なことをおしえてあげるわ」といったふんいきで言う言葉。

自分の持ち物(バッグ、靴、服、アクセサリーなど)を見渡して、自分にとっての「価値」と、市場「価格」とがぜんぜん一致していないことを再確認した。

映画としては、私にとってはそれほど心に残らなかった。

それよりもちょっと前に観た映画「ラスト・ホリデイ」が、なぜがじわじわと後を引いている。

典型的な娯楽映画なのに。余命わずかの主人公が、最後にありったけの財産を使ってやりたいことをする、それがとても爽快なストーリー。それでラストはお決まりのハッピーエンド。

なのだけれど。

やたらと頭のなかをうるさくさせるのだ。

もしかしたら、人は、知らず知らずのうちに「守り」に入り、なけなしのものを「蓄える」ことに執着し、飛ぶことを恐れ、結果、つまらない人生を送るのかもしれない。

すべてを賭けて飛んでみたら、もしかしたらその先に、とんでもなく刺激的な人生があるかもしれないのに。

自分がどうもその守り体制にいるようで、だから、あの映画がいつまでも頭から消えないのかもしれない。

氷の町、軽井沢。人々の家の「つらら」を見るのが楽しいシーズンです。

2月 7, 2008 |