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2008/01/18

「独り居の日記」 メイ・サートン

「真実として残るのは、どれでも彼女の本をとりあげたとき、生きているという、より強い意識なしにはただの一ページも読めないことである。芸術が生命を高めるものでなかったら、いったいどんなものであるべきなのだろう?」

久しぶりに、読み返す。

ヴァージニア・ウルフの本について述べた部分。この前に、ウルフの『ある作家の日記』について、

「大いに自己専念はあるかもしれないが、自己憐憫はない」

と、私の大好きな評価がある。

生きている、という強い意識とともに、読ませる本・・・・・・。

胸があわだつ。

昨夜は殿方二名と食事をしていて、いろんな話をしたけれど、そのなかで、今、強くよみがえってきている言葉がある。

「お金じゃないんですよね、お金が欲しいのではない、そりゃあ、欲しいんだけどさあ」と笑った後。

彼は言った。

「充実した時間」

が欲しいんです。

私は驚いた。なぜなら、それは、彼が発したその言葉は、、私が胸のなかで叫んだ言葉でもあるから。

生きているなあ、という思いが体中に染み渡るような稀な瞬間だった。お店を出た後は、マイナス八度の夜気が、骨の中まで染み渡りそうでしたけれど。

1月 18, 2008 |

2008/01/15

「どこか或る家」 高橋たか子

「けれども私はといえば、長年、小説を読むのがとても辛かった。自分と同じものを手さぐりしている小説以外は。自分が生きていることの根と同じ根をもつ小説以外は。 ・・・(略)・・・とにかく、私は小説を読むのが長年にわたって辛かった。私の中心点とそれの中心点とが同じでないような小説は。」

高橋たか子自選エッセイ集中、『「虚」のむなしさ』から。

小説が好きで、読書中は時間が経つのを忘れてしまう、読書好きの人々と自分自身を比較して言っている。

この部分を読んだとき、あ、私と一緒だ! と声をあげそうになった。私はいつも小説を読むときに、「自分が生きていることの根」、自分の「中心点」と同じものを探している。一行でもそれが見つけられれば幸運で、たいていは、あたりまえだけれど、落胆に終わる。

今朝まだ暗いうちに駅まで車を走らせた。外気温表示はマイナス八度。どこもかしこもかきーんと凍りついている。まだ暗い朝の、蛍光灯のついた軽井沢駅が私はなぜかとても好きだ。うら寂しく、けれどはっとするほとに綺麗で、泣きたくなるときがある。・・・・・・と、ときにはセンチメンタルにしめてみます。

1月 15, 2008 |

2008/01/09

「善悪の彼岸」 ニーチェ

「表にはさながら悪意のごとく振舞う、気位の高い慈愛もある」

深く心にしみた。

しみてしみて痛いくらいだ。

『表にはさながら「善意」のごとく振舞う人々』について、嫌いという積極的な感情を持つわけではないけれど、違う違う違う! と叫ぶ自分のこころがうるさくて頭が痛くなる。

いや、そうではなくて、ほんとうは嫌いなのかもしれない。わからない。

とにかく、もしも私が持ち得るならば、気位の高い慈愛を持ってみたい、そう切に願う2008年の始まりなのでした。

1月 9, 2008 |