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2007/11/27

「地獄の季節」 ランボオ

「俺は正義に対して武装した」

正義という言葉を、ためらいなく疑いなく口にする人に出会うと、急用を思い出したくなる。

本でもそうだ。先日もあるベストセラーを読んで、最初から、正義感、倫理観、という言葉がためらいなく疑いなく使われていたので、唖然とした。品格に関する書籍だった。

正義、倫理、それを使うのが嫌いなのではない。もっと慎重に扱いたいのだ。せめてその言葉の前に「私なりの」「自分なりの」という個人が欲しい。

と思っていたときに、ふと開いたランボウ。以前は

「ある夜、俺は『美』を膝の上に坐らせた。--苦々しい奴だと思った。--俺は思いっきり毒づいてやった」

のくだりが大好きだったけれど、今回は「正義に対して武装」、これ。

軽井沢は車が凍る季節となりました。ペレットストーブの炎ゆれるリビングでとろとろしていても許される季節でもあるから、嬉しいです。

11月 27, 2007 |

2007/11/07

「エロス幻論」 中田耕治

「人間には、芸術に無縁の人種と、芸術によってしか生きてゆけぬ人種とある。前者は決して悩まず、うしろを振返ってみることなく、ダイヤモンドのように頑丈な心を持った人たちである。後者は、そういう人種を軽蔑すると同時に、そういう人種になりたいあこがれを持っている人たちだ。しかし、いくらあこがれても決してそのようにはなれず、ぶつかり合えば傷つくのは必ず後者であるが、傷つくことを最後には芸術のための肥料にする強靭さは持っている」

これは吉行淳之介の言葉。「トニオ・クレーゲル」の一節を彼自身の言葉で紹介した箇所だという。

昨日、久しぶりに合った方と同じ言語で三時間以上おしゃべりをして、内容が似通っていたので、彼女に紹介したかったけれど、どこで読んだか忘れていて言えなかった。

それを今突然に思い出した。

そして読み返して、ラストの一行の重要さを再発見したのでした。

11月 7, 2007 |

「ドストエフスキーのおもしろさ」 中村健之介

「苦しみと涙、それもまた生なのだ」

こういうシンプルな一文に胸をつかれるシーズンにいるということなのだろう。

昨夜、自分の中のある色彩を呼び戻したくて「アナイス・ニンの日記」を読み、その中にニンがドフトエフスキーに夢中になったくだりが出てきて、そういえば、私にもいくつかドフトエフスキーの言葉があったな、とノートを開いた。

そうしたら岩波ジュニア新書からの引用がたくさんあって、びっくり。そうだった。全体的なことを調べたい時に、図書館で借りてきたのだった。「カラマーゾフの兄弟」しか、ちゃんと読んでいないのかもしれない。

あーあ。もっと軽やかに生きられたらな、とも思うけれど、それでは絶対に満たされないことも知っている。

じゃあ、もっと明るく? 明るいのはいいかもしれない。そこに重さがあれば。

明るい=軽やか 暗ーい=重い

でもないでしょうに。

このように考え始めて、同じところをぐるぐると回り続ける。

そうして、ふいに、こんな私から離れることなくつきあってくれている人々に対する感謝の気持がいっぱいに胸に広がったりするので。

「ありがとう」

紅葉燃えるシーズンから最後の一葉、状態になっている軽井沢。窓外の空は雲一つなく、美しい水色なのでした。

11月 7, 2007 |