« 2007年9月 | トップページ | 2007年11月 »

2007/10/30

「エゴン・シーレ展カタログ」

「私は、今日1913年1月8日に明言いたします。この世でだれも愛してはいません、と。ヴァリー」

シーレのミューズ、あの有名な、そして私にとって特別な「死と処女(おとめ)」のモデルとなったヴァリー。彼女については詳細な記録は残されていなくて、けれど一度だけ、シーレのスケッチブックの中に自分の言葉を書き込んでいる。それが、この一文。冗談めかして言っている言葉らしいけれど・・・。

1991年のシーレ展カタログを手に入れて、初めて知った。「悲しみの女」のページにあっ た。そこには続けて次のような言葉がある。Photo

「シーレとの生活で資料として残されたヴァリー側からの積極的な表現が、このことばだけであったこともまた象徴的で、痛切な事実である」

冗談であろうとなかろうと、とっさに書いた一文であろうと、この世でだれも愛してはいない、という言葉を綴るヴァリーに、きっとシーレは魅せられたのだろうな、と思う。そのひとをかわいがりたい、という情熱とは違う種類の情熱だっただろうけれど。

軽井沢は紅葉シーズン。木々の色が、おそらく同じ色は何一つとしてない葉が、とても美しいです。

早朝などはずいぶん冷たくて、車の外気温表示「5℃」などに、マイナスになる日がもうすぐそこまで来ていることを知らされるのでした。

10月 30, 2007 |

2007/10/26

Icon 伝説のバレエ・ダンサー、ニジンスキー妖像 芳賀直子

「紛れもなくこれは天才だった。まるでそれは恍惚であり、ほとんど神技に近かった」(チャールズ・チャップリン)

Photo ニジンスキーの名前は、ロシア・バレエを率いたディアギレフとともに、知ってはいた。ジャン・コクトーやシャネルのあたりをうろうろしていると、かならず登場する人だったから。けれど、こんなにも彼の姿が私のこころに迫ったのは、昨日が初めてだった。

下記に担当編集者の言葉があるけれど、彼の狙い通りに、この本は、読む(観る)側の私たちに、きちんとニジンスキーと向き合うことを余儀なくさせる。私はこの本に出逢って、世の中にいかに多くの「余計なキャプション」というものが存在するのかを知った。

(↓情熱があります。本に対する情熱が・・・)

http://www.1101.com/editor/2007-09-14.html

チャップリンの言葉は、おそらくニジンスキーの魅力をどんぴしゃに言い得ていると思う。

「まるでそれは恍惚であり」・・・

これと同じ感覚を私は知っている。

マリア・カラスのコンサートフィルムで、それから最近毎日のように観て感涙しているエディット・ピアフのコンサートフィルムなどで、体感しているから。

神技とまでは言いません。けれど一瞬でもいいから「まるでそれは恍惚であり」という感覚を文章で、感じさせたい、などと不遜にも願っているのでした。

10月 26, 2007 |

2007/10/18

「エディット・ピアフ コンサート&ドキュメンタリー」

「いいえ、ぜんぜん いいえ、私は何も後悔していない」

話題の映画「エディット・ピアフ~愛の讃歌」、有楽座にて、土曜のお昼、一人ひっそりと観賞し、心で号泣し、ドキュメンタリーのDVDを借りた。

映画のヒットのおかげでピアフ関連の商品が充実するのは、とっても喜ばしいことだ。

ドキュメンタリーの中、インタビューの場面。

インタビュアー「恋愛経験も豊富で波乱に満ちた人生ですね。他の歌手のような穏やかな暮らしは?」

ピアフ「悪くはないけれど、そういう生き方では歌えなかったでしょうね。いつも全力投球なのよ」

インタビュアー「すべてに?」

ピアフ「そうよ」

インタビュアー「道徳に反しても?」

ピアフ「ええ、そうよ」

このときのピアフの表情、目の表情があまりに美しくて、繰り返し見た。

そして、死の直前、「奇跡のカムバック」と言われたオリンピア劇場で、「いいえ、私は何も後悔しない」を歌うピアフ・・・・・・。美しすぎる。

また、二十三歳年下の夫テオ・サラポとのデュエット「恋は何のために」を歌うピアフの、魅力的なことといったら絶句してしまうくらい。抱きしめたいくらい。

そこには私の琴線にふれてしまう、瞬間の美しい愛があった。「愛を信じたい」という気持にさせる輝きがあった。

ところで、映画ですが。

素晴らしかったです。好きなひとの伝記映画だから、前評判、事前知識ゼロで、祈るような気持で観に行ったけれど、ほんとうに、素晴らしかった!

もう一度行こうと思う。

だって、ラストが、

「NON,JE NE REGRETTE RIEN いいえ 私は何も後悔していない」。

「女神<ミューズ>のラストシーンと同じだなんて、それだけで感激。生きててよかったと思いました。

10月 18, 2007 |

2007/10/12

「女の復讐」 バルベー・ドールヴィイ

「美は一つだ、醜のみが多様なのだ」

最近読んだ本でもないのに、なぜか、ここ数日、このフレーズが頭をくるくる回っている。そしていちいち、様々な場面で納得する。

たとえば、「私は美の収集よりも醜の収集が得意なことに、引け目を感じていたけれど、これは当然だった。美は一つだから収集しようがないもの」といったかんじで。

風が冷たい軽井沢。床暖房でぽかぽかの我が家の仕事場の窓から、色づいた葉が見えています。

今日は懐かしいひとから電話がありました。連絡先を聞くのを忘れました。どうぞまたご連絡くださいね。

10月 12, 2007 |

2007/10/11

「私の嫌いな10の人びと」 中島義道

「たぶん、彼女はやはり遠いところをぼんやり見つめながら、ありとあらゆる解釈を拒否して、静かに死を迎えるように思われる。彼女はこう生きたのであり、こうしか生きられなかったのであり、それがすべてなのです」

「わが人生に悔いはない」と思っている人、が著者は嫌いで、そういう台詞を、きらきらっとした眼差しで普通に言える人々に、「ドカンと大砲を打ち込む」ために、小津安二郎の「東京暮色」を持ってきている。

その部分を読んで、ぜひとも、映画が観たくて、私が好きなジャンルではないけれど、DVDを借りた。そして観賞後、再び、その部分を読んだ。

映画について語られた文章で、こんなに感嘆することは、ほとんどない。荻昌弘の映画評論を読んだ時の感動を思い出した。

「彼女はこう生きたのであり、こうしか生きられなかったのであり、それがすべてなのです」

この一文には、人生そのものがある。

そんな風に感じて、それが頭から離れなかったから、夜のスーパーマーケットで、様々な人々を眺めながら、彼、彼女たちの人生に想いを泳がせてしまった。どのように生きているのか、どのようにしか生きられないのか。何のために、何を考えて生きているのか。

なかなか買い物が進まない。何度も同じところをぐるぐる回ることになる。信じられないくらい時間がかかる。

スーパーマーケットが現実味がなく、別の世界を漂っているようなかんじ。ふわふわと。

あぶないので、運転する時には、頭をぶるんぶるんと振って、現実に戻るようにしています。

10月 11, 2007 |

2007/10/03

「不良少年とキリスト」 坂口安吾

「人間は、決して、勝ちません、ただ、負けないのだ」

苦しくなったときの安吾サマ。

じわじわと染みてきます。

「しかし、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。

戦いぬく、言うはやすく、疲れるね。しかし、度胸はきめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。

決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。

戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません、ただ、負けないのだ」

ああ。まるで、耳元で囁かれているようで、(妄想は得意)、慰められた。

望む方向に、気持が、一歩踏み出せたかんじがして嬉しい。と思い込もう、そうしよう。

ほんとに、すべては自分の心の状態なんだから。心の状態で周囲が、周囲の彼らは実際変わらなくても、、私にとっては変わって感じられるのだから。

気持ちよく人生を送るための秘訣みたいなかんじで、よく「期待しないこと」というのが挙げられるけれど、私はそれに賛成しながらも、そうなりたくない。だって、淋しくてやりきれない。苦しみの要因でもあり、悦びの要因でもある「熱」がそこにはないから、どうしても嫌なのです。

10月 3, 2007 |

2007/10/02

「啼く鳥の」 大庭みな子

「彼女は毎日毎日、自分が思ってもいないことを平気で口にし、嘘ばかりついていて、おまけに相手が自分の本心を少しも見抜かず、嘘をついても全然気にならないらしいということに気が狂いそうになってきた。

気が狂わなかったのは、一人でこっそり、日常の会話とは全くべつのことを書きつけていたからである・・・略・・・

彼女は日常生活でもし自分が感ずるままのことを言ったり、したりしたら、それは攻撃的な、怒りと憤懣と悲しみに充ちた露悪的なものになり、他人を不愉快にし、その結果、みんなに危険な人間だと思われるに違いないと思ったので、嘘をつきつづけるしかなかったのだ。

嘘とはつまりこんなことだ。いやなことでも「はい」とすなおに言ったり、笑いたくないときでも笑ったり、つまらないことでも一生懸命やって、更に一生懸命やり続けることで、自分の頭を麻痺させてしまうというようなことである」

ああ。未熟者ゆえ、いろんな重圧(たぶん世間的には大したことがないこと)に耐えかねて、かなり限界にきています。ばたっ。

と倒れたくなるような気分なので、口から言葉が出てこない。誰とも話したくない。

部屋中に、「めぐりあう時間たち」の音楽をエンドレスで流して、ただひたすら、自分の創った物語世界に入り込み、言葉を愛でる。

人生の優先順位を決めてからは、少しは楽になったはずなのに。闘っている感がいつまで経っても拭いきれないのはなぜ。

「このテンションを維持しておきたい! ああっ、でも、・・・・・・だんだん・・・・・・なくなって・・・きて・・・しまう・・・大庭みな子が書くように、頭が麻痺してしまう」

といったかんじ。

午前中、所用があって出かけて、道で知り合いの殿方に会った(もちろんお互いに車)けれど、このような精神状態だったので、まともに会話ができなかった。ごめんなさい。

ずいぶん寒くて、一昨日からストーブをつけた。でも知り合いの家では既に床暖房と薪ストーブのダブルスタイルだそうです。

10月 2, 2007 |