2009/11/11

「悲歌 エレジー」 中山可穂

この手で直接抱きしめてやることはできなくても、何らかの火を熾して遠くからその生をあたためてやりたかった。

たとえば愛を後ろ手に隠して、それと気づかせぬまま、愛を貫く方法はないか。」

ふたつの短篇、ひとつの中篇からなる、中山可穂の新作を昨夜読んだ。このひとのを読むにはそれなりの状況を整えないといけないから、そしてそれがなかなか困難だから、購入してからずいぶん日にちが経ってしまった。

読み終えたら、やはり眠れずに、ようやく眠ったらすぐ朝で、目が腫れていた。私は眠りながら泣いていたのだ。小説世界をそのまま眠りのなかに引きずって、涙していた。

「同世代の作家を、それも、どこかの知らないひとに類似を指摘されるような作家を熱愛していることを公表しないほうがいいよ」

と、何人かの人に言われる。

でも、読んだあとに、本を抱きしめたくなるのは、このひとのだけなのだから、周囲にどう思われてもいい。

彼女は、私が諦めたり、もしかしたら捨ててしまって、実は命にかかわるほどに後悔しているかもしれないものを、胸にきつく抱いて生き、書いているひとなのだ。

冒頭の三行は、三つの物語を貫いている作家の想いが凝縮されているように私は感じた。そして、私もいま、この想いに強く同調する。恋愛だけではない、あらゆる種類の愛情のゆくえをイメージして。

ほぼ同世代で同じ時代を生き、書いている作家の、変容しない核と変容してゆく姿とを、リアルタイムで感じることのできる幸せを、いま、感じている。

外は、こわいほどのどしゃぶり。今日は予定を入れていないから一日外出しないで過ごすことができそうです。

11月 11, 2009 :::言葉の泪壺::: |

2009/11/05

■「弥々」の毬谷友子■

091105_084901 パソコンに向かって、「書けるかな」と思いながら、キーをたたいている。

毬谷友子の『弥々』を観たのは先週10月28日の水曜日。あれから一週間が経ってようやく「書けるかな」というかんじになった。といっても、まだはっきりとはしていなくて、決定的なある部分は薄ぼんやりしたままだけれど。

はじめて毬谷友子を、『弥々』を知ったのは、二十代の後半くらいだったと思う。

あの頃はしょっちゅう資料を探しに新宿の紀伊国屋書店に行っていて、あの薄暗くて狭い階段の壁に、『弥々』のちらしを見たのだった。なにに惹かれたのだろう、それはよく覚えていないけれど、私は、その日に、ひとり分のチケットを購入した。

そして紀伊国屋ホールで、『弥々』を観た。なにを、どのように、ということは全く覚えていないのだが、ただただ、圧倒され、はげしく感動したことはよく覚えている。くらくらになりながらホールを出て、ひとり新宿の街を歩いた。

それでも、私は「芝居」はあまり好きではなく、映画はたくさん観るのだけれど、芝居には足が向かないので、毬谷友子のものはすべて、というファンにはならなかった。それでも創作上のベクトルがときおり、そちらに向かう。

たとえば、はげしく敬愛する坂口安吾の「桜の森の満開の下」と「夜長姫と耳男」を、野田秀樹がミックスして創った「贋作 桜の森の満開の下」という舞台、夜長姫を毬谷友子が演じていた……ということを知り、ネットを隅から隅まで探して、でもDVDはなくて、VHSのテープを入手したり、映画『外科室』に出演していることに感激したり。そして昨年は「いさかい」を観に行き、その才能を目の当たりにした。

その程度なのだが、私のなかでは、特別な、女優。

そして、10月28日。私自身に異変が……。

と、あいかわらずオーバーな表現だと揶揄されそうなのだが、毬谷友子が舞台に登場し、『弥々』の物語が始まったら、胸が、なみうつように、動き始めた。

あれ、やだな、こんな序盤から涙が。

と動揺するほどに。そんなかんじだった。

物語の筋は知っているから、涙はきっと物語自体にではない(物語がよくないというわけではない、念のため)。

だから、私の『弥々』に対する視線、姿勢は、「正しくない」のかもしれない。

けれど、事実として、およそ百分の物語が終了したとき、私は嗚咽を止めることもできず、毬谷友子の挨拶が終わったとたんに化粧室にかけこんだ、そして水を流しながらハンカチで声を殺しながら泣いた。

こんなことって、いままでにあった?

と自問する。

それよりも。なにより重要なのは、この涙は、この動揺は、この感動はなに?

ということなのだった。

私は、あの舞台の、何に、こんなに感応してしまったのか。

そんなふうに、考えながら、はっきりとはわからないままに一週間が過ぎている。そんな状態。

わからないままに、それでも今の気持を書き残しておこうとするならば、やはり、あの舞台、ひとりきりの舞台で『弥々』を演じていた毬谷友子は、とっても「生きている、」というかんじがしたのだった。

「生きるということ」のすべてがあの瞬間にあり、その姿、熱空間に、私は美を見たのだと思う。

こころのそこから信じられるもの。すばらしいと心底おもえるもの。それを毬谷友子はもっているのだと思った。それは毬谷友子の父である作家の矢代静一が娘に残した脚本であり、父が残した作品に、疑問をひとかけらも感じることなしに、彼女はどこまでもピュアに、てらいもためらいもなく、演じることがこんなに好きなのだという空気をいっぱいに身にまとって、そこに存在していた。

「いさかい」のとき、私はこのブログに「才能の化身」という言葉を使った。

今回はそれに加えて熱情が、真摯なパッシオンともいうべき熱情が、そこにあった。それは私が信じたい生の形だった。

私がもっとも信じるところの恋愛という形ではなしに、ひとりの人間が、ひとりの人間を、これほどまでに、うつということが、人生には起こりうる。そういう意味で、やはり、あれは私にとって特別な芸術作品そのものだったのだ。

いや、もしかしたら……。マグダラのマリア弥々に、私は心うたれたのかもしれない。いつのまにか毬谷友子ではなく『弥々』そのひとに。と、いま、ふと思って、せなかがぞくりとした。

*「いさかい」の記事はこちらから。21日の記事です。

*『毬谷友子ひとり語り 弥々』ちらしより、抜粋。

[戯曲は文学であるべきだ]と父が言っていたことを思い出します。[ひとり語り 弥々]はそんな父の言葉に対するオマージュです。そして矢代静一の原稿用紙の中に来てくださった皆様に、一対一で弥々と向き合っていただくことができたら、と願いを込めた私の挑戦です。どうか、弥々が皆様の心の中に何かを残していくことができますように・・・一人でも多くの方に弥々を知っていただけますように。 毬谷友子

11月 5, 2009 ■フィクション・ダイアリイ■ |

2009/11/04

☆禁断の舞台、2009年11月21日(土)15:00  開演です☆

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◎◎◎新しいコンテンツを作りました◎◎◎

右の「愛は禁断を超えて」のバナーをクリックしてください。詳細があります。

11月 4, 2009 |

2009/11/02

☆「VOCE」、ココ・シャネルの“嫌悪力”☆

091102_081101 いま発売中の「2009 VOCE(ボーチェ)12月号」(講談社)、に記事が掲載されています。ぜひ、ご購入ください。どうしても立ち読みしちゃうという方にはこっそり、P267・・・。

でも、これは購入の価値あります。特集のテーマは「叶える力」。

オードリ・ヘプバーン、白洲正子、マイケル・ジャクソン、田中絹代、ロマーヌ・ボーランジェ、ジュルジュ・サンド、ビリー・ホリデイ、宇野千代、そして、なんと! ガラ・ダリ……などなど、あちらこちらのセレブたちが登場しているのですから!

「ココ・シャネルの嫌悪力」という見開き2ページの記事は、とってもスタイリッシュ」、キレのよい文章に、鋭いデザインです。

ライターは小川聖子さんという、とっても可愛らしくもエナジーあふれる若いぴちぴちな女性で、私の本を、深く読み込んでいらしてくださったので、話もはずみました。

私も、そんなに多くはないけれど、インタビューなどを受ける機会があります。そのとき、「ああ、このひと、ちゃんと読んでくださっていないのだな」と思うと、やはり気持は萎えるものです。感想すらおっしゃらない方も多く、なかには、なんと「ごめんなさい、読んでいないんですけどー」と堂々とおっしゃる方もいらして、そういう方に出会うと、その方の調子に合わせて「ごめんなさい、帰りたいんですけどー」などと言いたくなります。

愚痴をいうと、こんなに長くなってしまいますが、小川さんは、そういったなかにあって、際立っておいででした。

そして、担当編集者のぴちぴちに若い殿方、福田秀芳さん。彼も、なにかこう、とっても情熱がおありでした。よい誌面をつくりたい、自らが信ずるものを発信したい、そのためにはエナジーを惜しまない方、といった印象を強く持ちました。

おふたりの、瑞々しくも、絶対に軽視できない情熱にふれて、私は胸が熱くなりました。

そんなこんなですから、やはり、VOCE、購入すべきですよね。どうぞよろしく。

☆『ココ・シャネルという生き方』、5刷りのご連絡をいただきました。嬉しすぎます。

11月 2, 2009 ☆お知らせ・ご案内☆ |

2009/10/21

■なんども恋におちる恋■

091021_081601 昨夜は頭が冴えて落ち着かなく、少しだけブランデーを、と思ったら久しぶりにくらくらするまで飲んでしまった。酔いは妙なことをさせるから、夜遅いというのに昔の原稿やらノートやらの整理をはじめ、過去を半分くらい破棄した。

その昔のノートに「決定的に恋におちた」という言葉があって、なんだそれは、と(自分で書いた言葉なのに)つっこみをいれつつも、(自分で書いた文章なのに)面白く読んだ。

それは、あるマンションの屋上のプールでの出来事。何人かで騒いでいて、私は水に入らずに日焼け止めをぬりたくり、大きなサングラス、大きな帽子、さらにパラソルの下で完全に紫外線から身を守った状態で、はしゃぐみんなの様子を見ていた。

すると、そのとき、出会って間もない恋の相手が私の名を呼んだ。そして水のなかからジャンプしながら、私に手を振った。強い陽射しと彼のウエーブがかった髪、そして百パーセントの笑顔が、瞬間、私の心にうそのように強烈に焼きついた。そのとき、そう、今でもよく覚えている、「いま、私、このひとに、ほんとうに恋をした」と感じたのだった。

恋をして、そのひとを知り始めてしばらくしてから、それでも「ああ、私、いま、恋をした」と感じる瞬間がある。それは私がノートに書きつけたように「決定的に恋におちた」瞬間といってもいいかもしれない。

そんなことに想いをめぐらせると、ああ、あの映画のあのシーンもそうなんだ、といくつか思い浮かぶ。

私にとっての特別なひと、アナイス・ニンの日記を原作とした映画「ヘンリー&ジューン」のなかにもあった。

映画館でぼろぼろと涙を流すヘンリー・ミラー。ふだんの彼と異なる顔。それを見たアナイス・ニンは、そのとき彼の魂、感受性というものに鋭利にふれたのではなかったか。あのとき、アナイスは、決定的に恋におちたのだと思う。

そして、特別な相手との恋は(もちろんどんな恋でもいつかは終わりがくるのだけれど)、その恋愛中、なんどもなんども、決定的な瞬間を経験する、そして関係が深まってゆく。

軽井沢は感傷的な季節になりました。木々の色彩が、いいよ、もう夏も初秋も通り過ぎたことだし、自分のなかに入り込んでいいよ、と許可してくれているように、感じます。

10月 21, 2009 ■フィクション・ダイアリイ■ |

2009/10/12

■自己撞着と陰影と表現行為■

091012_111001 軽井沢の「アートコントラーダ」、今年は「浅間山発 ヴェネチア行き」、「現代美術を偏愛した男と女」というぞくっとするタイトルに惹かれて出かけ、男「池田龍雄」と女「増田洋美」の、力強い「表現」の姿勢に、震えを体験した。

ひとりで行くのは嫌だからと、娘につきあってもらって、最後に「おつきあいありがとう」と言うと、彼女は「うん、でも、あのガラスのインスタレーションが見られたからよかったよ」と答えた。「怒り、っていう題の、和室にあったあの黒と銀のが、よかったよ、あれは見られてよかった」と。

私は池田龍雄の世界、自分のなかにあって、いつもは表層に出てこないように抑えこんでいる熱くて柔らかなかたまりが、うずくのを、不安と期待のなかで感じていた。

パネルにあった池田龍雄の文章に出逢い、夢中でノートに書き写した。

瀧口修造の文章の引用があった。

***

芸術は自己撞着である。生そのものも同じ。しかし人間の表現行為は厳として存在する。それは絶えず体制をはみ出し、意味の世界の彼方を指すだろう」

芸術が自己撞着であることを悟っていた瀧口こそまさに大いなる矛盾のかたまりであった。

***

芸術も、生も、自己撞着なのだ。自己のなかに激しい矛盾を抱え、その矛盾が擦れあい熱を発する。

唐突に思うのは、そうか、自己撞着という言葉から遠いひとが、もしかしたら、このところ、私が「もっともなりたくないひと」として意識することの多い「陰影のないひと」なのかもしれない。

現代美術を偏愛した男と女の、「表現行為」の場の脇、国道18号線は渋滞していた。みんな、何を目指してどこを目指して、ここを通り過ぎていくのだろう、そんなことを思いながら、丘の上から渋滞する車をしばらく眺めてしまった秋の夕刻でした。

「アートコントラーダ」、詳細はこちらからどうぞ

10月 12, 2009 ■フィクション・ダイアリイ■, :::言葉の泪壺::: |

2009/09/27

■プロフィールの写真■

110 「ココ・シャネルという生き方」関連で、取材を受けることが増えて、そのためのプロフィール写真が必要となった。もちろん、運転免許証ではないのだから、数年前のだっていいのだけれど、それらは髪も長いし顔も(今より)若いし、なんとなく気がひけて、新たに写真を撮ることにした。

「ほうれいせんがくっきりなのはいやだからね」「なるべく顔がどーんとうつらないようなかんじで」「左側からね」「肩から腕にかけてのライン、大丈夫?」

うっとうしい注文を飛ばしながらの撮影となる。返ってくる言葉は、「もう、これはどうしようもないよ」「これ以上とばすと、顔がまっしろになるよ」「せいけいしてきたら」等々。

いくつかピックアップして、それでも「どれもだめだ」と嘆く私に、「こういう顔してるんだよ」と声がかかる。そして畳みかけるように、「実際に会ったとき、うわあ、あの写真はめちゃくちゃ修正いれてるな! と思われるのと、写真よりいいじゃん! と思われるの、どっちがいい?」という意味不明な質問が。

あらためて、女性誌を広げて、いろいろなひとのプロフィール写真を見る。だいたいが、カメラ目線でにこやかだったり、クールに決めていたり、している。……うーん。

モデルじゃないんだし、そんなにこだわることないよ。

とほうぼうで言われる。けれど、こだわらなくてどうする、とそのたびに思う。

ヘアメイクやファッションと同じ。自分をどう見せたいか、どう見られたいか、という問題なのだ。けれど、それは美醜とは違う。そう。実物より「美」くしく見せたい、とはあまり思わない(ほうれいせん云々も、もうしょうがないとは思っている)。じっさい、「わざとヘンにしてるの?」という質問を受けることも多い。

じゃあ、なんなのか。

はい。たぶん、これは私にとって、哲学的な問題なのです。笑わないでください。そこのあなた。私のそのときの、私の人生のそのシーズンを象徴するような写真が欲しいのです。そこからたちのぼる空気感で、それが感じ取れるような、そんな写真が欲しいのです。

9月 27, 2009 ■フィクション・ダイアリイ■ |

2009/09/17

■なんども「エレジー」&「ダイング・アニマル」■

Elegy 以前に、「はやくも2009年のベストワンかも」「それほどに私好みの映画だった」、とここに書いた「エレジー」、DVDを購入したのが10日前。すでに二回、観てしまった。

Photo そして、夜はその原作本である「ダイング・アニマル」(フィリップ・ロス)を読みふける。ベッドのなかで鉛筆片手に、ラインを引きながら、ゆっくりと反芻する。

なにがそんなに好みなんだろう。と考える。容易に答えが出る。主人公の男と女。両方に強烈に共鳴できるからだ。男の姿にも、女の姿にも、自分を重ねることができる。それぞれの欲望のかたち、おそれ、熱。

ここまで惹かれる映画は稀だ。人生のなかで、何度も観たくなるような映画なんて、それほどないんだな、とここのところ強く思っている。

「めぐりあう時間たち」「ヘンリー&ジューン」「ダメージ」「ピアノ・レッスン」「存在の耐えられない軽さ」……そして「エレジー」。

エレジー。サントラまで注文してしまった。明日届くのが楽しみ。しばらくは、エレジー色の日々を送るだろう、送りたい。

昨夜はひどい孤独感と悲劇感のなかで、苦しかった。理路整然と考えれば、その孤独も悲劇もすべて自分で選び取ったものなのだと知ってはいても、小さな子どものように、ただ感情にまかせて駄々をこね泣きじゃくり、頭を撫でてもらいたい。理不尽したい。

今朝、車の気温表示が9度でした。ああ。昨夜も寒かった。そうか、寒いから、あんなふうになっちゃったのね。と、高原の気候のせいにすることにしましょう。

9月 17, 2009 ■フィクション・ダイアリイ■ |

2009/09/07

☆「ココ・シャネルという生き方」、テレビに登場☆

明日、9月8日(火)の真夜中12時10分スタート。

「九州朝日放送」の情報番組「ドゥーモ」で、シャネルの特集が放映される予定です。

その中で、「ココ・シャネルという生き方」、内容も含めてご紹介いただけるそうです。九州地方のみなさま、ぜひご覧ください。

☆お知らせ☆でした。

それにしても、今回の本の、私がどこに力を入れたのか、どんな目的でそれを作ったのか、それをずばりと言い当て、頭を撫でてくれるような言葉をいただくと、ほんとうに嬉しいです。ありがとう。

9月 7, 2009 |

2009/09/01

☆「ココ・シャネルという生き方」 元気です☆

「ココ・シャネルという生き方」、3刷も決まって、雑誌掲載のご連絡も増えてきて、書店でも目立つところで、きらきらラメのカヴァーを光らせて、とっても元気です。

知人がまめに送ってくれる、いろんな情報、「ほら、このブログでも、感動した、って紹介されています」「とても若くてキラキラしている女の子のブログでも、とっても気に入っている様子が書かれています」あるいは、「意外と男性が読んで、感銘を受けているようです、ほら、こんなのが」、リンクをクリックしてブログを拝見すると、ほんとうに嬉しいことが書かれていて、涙がでるほどに、しみじみと感動しているのは私です。

Sa350307   Sa350305                  そして、たった今、東京を徘徊中の殿方から画像が届きました。六本木の「あおい書店」さん、ありがとうございます。

「週間ベスト文庫12位」です。ほんとうに嬉しいです。

9月 1, 2009 ☆お知らせ・ご案内☆ |